年間目標未達の罰ゲームは「自分史ブログ」5投稿。どこの家庭でも同じかな?と思いますが、子供達が小さい間は、親の言う事はそれなりに聞かなくては、生活できない環境。自我が目覚め、自己主張できる年齢に達すると、子供も強くなりますね。親としても考えさせられることが増える頃でした。
1.地域活動に家族そろって参加
我が家の子供達は長男・長女・次女の順に長男と次女は「ひと周りの歳の差兄妹」です。
長男が9歳、高学年に入る頃、地域の子供会活動で行っていたソフトボールチームに入部したいと言うことで、見学に行ってみた。
自治会といっても、私たちの住んでいる地域では、老人・青年・子供と別れて活動しているようでした。
ソフトボールチームの監督さんも、入部している子供が6年生になると、その親の中から選ばれるという仕組みでした。
ある日、練習を見学に行き当時の監督さんと話していると「参加してくれる父兄さんの人数が少なくて、大変なんですよ」と言うことでした。
その方も1年だけならと思い、監督をして下さっていたようでしたが、お父さんにも一度見学に来て欲しいと言われたことを父親に伝えました。
そこからが始まりです。
元々は、人前に出ることは好きではなかった主人でしたが、手伝いから始まり監督になっていましたね。大人のチームもありましたので、そちらにも入部することになっていたようです。
なぜかしら、長女も知らない間に女子チームに入り、そちらでも監督をすることになってしまいました。
次女が小学校を卒業するまで約18年間、途切れることなく小学校にお世話になっていました。
学校の会長やら子供会の会長やら、何かしら地域の役が当たることになっていましたね。
そうなると、我が子だけを見ることはできません。
そこから、徐々に家族は、バラバラに崩れていったように感じます。
2.長女は反抗期・・?
長男は、中学生になっても「反抗期」というものはあったっけ?と考えるほどに、トラブルはなかったように思います。
真面目な性格でしたが、少々やんちゃな同級生とも、保育園時代からのお友達という子達もいたようで、上手く関わっていたようです。
けれども、長女が中学生になると、世間で言う「反抗期」突入!!
自分の気持ちを上手く言葉に出来ない子だったのでしょう・・。
家では、反抗する事はなかったですが、学校の規則を守らず、授業には出ず、随分先生を困らせていたようでした。
身長の高い娘は、目立つのでしょうか・・?
他校の生徒から「呼び出し」なんて事もあったそうです。
けれど、愛嬌はあったようで生徒指導の先生からは、気にかけてもらっていましたね。
それも、先生と話すことが出来たのは、娘が中学3年生になったときに、父兄の役員決めがあり、抽選で私が当たってしまったのです。
親子揃って先生を困らせるのも、良くないな~と考え、渋々役員は1年間だけでしたので、受けることにしました。
卒業式には、我が子は風紀は守りたくないとのことで、不参加でしたが、我が子が居ない卒業式に親の私が役員として座っているという・・今考えると面白い経験もさせて頂きました。
式が終わると、門の外では後輩たちに花束を貰っている娘を見ると、ホッとしたのも不思議な感覚だったことを、思い出します。
3.次女には申し訳ない思いでいっぱい
長女の子育てについて、夫婦の意見が食い違い、家では毎日のように夫婦で口論となっていましたね。
長女にしっかり向き合ってほしいという私、地域の活動を優先する旦那さん。
最後のとどめは、チームの卒業生に「人の子を見る暇があれば、自分の子を見てあげれば・・」と言われた言葉。
次女もチームに参加していたので、同じようにしてあげたいという旦那さんの想いもあったのでしょうが、世間の目は厳しい。
長女は家には居ないことが多かったので、知らない事ですが、小学生の次女にしてみると毎日夫婦喧嘩を見るのは、辛かったことでしょう。
部屋に戻り、聞こえないふりをする優しい子でしたね。
4.人生の大きな転機
次女が10歳になった頃、私も勤めに出ることにしました。
私の弟が務めていた会社で、不動産部を担当していた人が、独立するので人を探していると・・。
私は、パートなら・・と、働き始めました。
専業主婦だった私は、建設会社の不動産部いう仕事は、知らないことが多く覚える程に楽しくなり、それなりの収入を得る事が出来ると、旦那さんと話しても口論になるだけなので、反論しなくなっていましたね。
「言っても無駄」と思うようになり、家事・子育て・パート勤め・・自分の仕事を淡々とするようになっていました。
ある日、旦那さんは「そんなに仕事がしたければ、一人ですれば・・」と私に、言いました。
口下手な旦那さんは、言葉に詰まると「出ていけ・・」というのが口癖。昔の人はそうでしたよね。
専業主婦だった私は、何度か悔しい思いをしたこともあり、仕事の楽しさもあり、その日の私は「わかった‥。ホントやね?」と確認をしました。
私は、もう決意してしまいました。旦那さんの返事もどうぞ!という感じ。
そこからは、修羅場でしたね。
本当に出て行くとは、思っていなかったのでしょう。
旦那さんは、人が変わったようになりました。
怒ったり、泣いたり、夢遊病者のように歩きだしたり・・。
子供を交えての話し合いの時には、泣く子や怒る子や黙る子・・。 あまりの私の口の悪さに殴りかかる子。
暴れん坊将軍の私が、復活していました。
次女は、まだ10歳。
どちらを選ぶかの選択をさせてしまうことになってしまいました。
「この家に残る。学校を変わりたくないから・・」
可愛そうなことをしてしまった。親の勝手で・・「ごめんね」と思いましたね。
ただ・・長男も成人していたのと次女とも仲が良く、残ってくれるというので、少し安心しました。
私が家を出ることにしましたが、長女だけは私の方について来ました。
ここから、シングルマザー・仕事のやりがいという新たな経験が始まりました。
続きは、第4章で・・
ありがとうございました。
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